狂言綺語

藤原定家(ふぢはらのさだいへ)を新古今和歌集の歌人は評価し誹謗した

藤原定家は、マラルメにも対比される抽象詩人。

難解な歌は、まるで禅問答のような難解さから、達磨歌(だるまうた)と誹謗された。

あるいは、言葉も、狂言綺語と。

しかし、芸術は現実の模写ではないし、文学は言葉の芸術である。

藤原定家は、日本最高の文学者にして、芸術家である。

摂関家(九条家)が定家一族の御子左家を支持し、支援した。

大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも

「~かも」の歌の終わり方が万葉調である。あるいは斎藤茂吉風である。

この歌の作者は、鎌倉三代将軍 源実朝である。

やまと歌をよく知っているなら別であるが、普通は武家の頭領と和歌とは結びつかない。

私も違和感があった。


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狂言綺語(きょうげんきぎょ)とは、形而上の芸術あるいは象徴主義か

藤原定家の和歌は、自身は「有心」と概念化しているが、他の凡庸な詩人は「達磨歌」などと扱き下ろしている。つまり難解で、もはや歌ではないということである。

狂言綺語は、「きょうげんきご」または「きょうげんきぎょ」と読み、道理のない言と過ぎた修飾の語ということで、これまた定家の歌の批判である。


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