藤原定家(ふぢはらのさだいへ) ブルックナー 芸術の規格

藤原定家は、アントン・ブルックナーとならぶ私が愛好する芸術家である。

定家の言葉至上主義と現実無視は、ブルックナーの絶対音楽追求による巨大交響曲の作曲と通じるものがある(と私は思う)。

文学や特に詩は、言葉で作り上げる芸術である。

音楽も、標題や思想のメッセージもあるだろうが、やはり音で作り上げる芸術である。

ブルックナーでは、ドイツ精神やら、神との交感やら、得体のしれない解釈がつけられることがあるが、一度、何らかの芸術作品をつくってみると、分かるはずだ。

なにがしかの自己表現であり、他方、それぞれの芸術はそれぞれの規格があるということである。
しかも、その芸術に長けてくればくるほど、その規格こそが創造の道筋となり、規格にしたがい、規格を破ろうとするものである。

ブルックナーが作品を神に献げたという説は、なぜミサ曲などの宗教作品よりも、交響曲に熱中したのか、答えることができないだろう。

交響曲第9番ニ短調、つづいて第8番ハ短調をもっとも好んでいる。CDはどちらも100種類以上所有しているから、立派な「ブルオタ」と言えるだろう(笑)

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