テレビは貧乏人の娯楽である

「テレビは貧乏人の娯楽である」と、どこかで見かけた記憶がある。

私はSOHO、しかも後ろの「ホーム・オフィス」の方であるから、一日中テレビを見ようと思えば可能である。
実際、かつてはリビングルームにノートパソコンをおいて仕事をしていた。まだ仕事も順調でなく収入も不安定な時期で、冷暖房はその部屋しか完備していなかったからだ。そして、テレビは点けっぱなしであった。

昼の連続ドラマにどっぷりはまったりもしたし、小泉劇場も堪能させてもらった。

今は、2階の和室にコタツとウインドクーラーを設置して、クラシック音楽をBGMに仕事に励んでいる。
テレビはほとんど見なくなった。見る暇がないという切羽詰まった状況もある。忙しいし、暇を作るほど左団扇でもない。
欠かさず見る番組は『相棒』ぐらいである。これは知的エンターテインメントとして非常に優れている。日本人もこんなドラマを作れるようになったし、また多くのファインがいて、日本も捨てたもんじゃないと思える。

さて「テレビは貧乏人の娯楽である」とは、村上龍が書いたとか、大橋巨泉が言ったとか、私もソースを確認していない。
が、言い得て妙である。

では逆に、金持ちはテレビを見ないで、ディナーやパーティを楽しんだり、海外旅行に行ったり、手間も金もかかる趣味に没頭するということなのだろうか…

そして「貧乏人」が経済的なレベルのことだけなく、知識や教養、社会に対する判断能力だったりすると、かなり大ごとになってくる。
あるいは「娯楽」に留まらず、ほとんどの情報源となっていたとしたら…

テレビは愚民の脳そのものである

  • 世界一優秀な日本のテレビ局 – 池田信夫 blog
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